日本のサッカー
近代サッカー、日本にプロリーグ、{Jリーグ}が発足してから、
現在に至るまでに、日本のサッカーはかなりサッカー先進国に
近づけたのではないかと思います。
Jリーグができたころ、サッカーが好きな人や
一部のミーハーな方の中での盛り上がりはありましたが、
まだまだ日本のレベルが低い時代だったため、
世界的な意味ではまだまだ日本は弱小だったといえるでしょう。
サッカーをしている人やプロを目指す人は。
「ここからが、正念場なんだ」と思っていたかもしれません。
発足時のチーム数『8』チームのリーグ。
しかし、三浦やジーコ、アルシンド、柱谷、井原など
私達でも知るところとするスター選手の活躍でJリーグは
非常に盛り上りを見せ、国内でサッカーという競技が
意識されるようになっていきました。
チーム数も増え、約12チームほどになったとき、
新たに、中山、ストイコビッチ、岡野などの選手のおかげで
活気もさらに大きくなったように感じます。
この頃の、エピソードで絶対に忘れてはいけないのは、
『ドーハの悲劇』だと僕は思っています。
後半、試合終了間際、
日本のサッカーファンが{ワールドカップに・・いける!}
と思ってた矢先、まさかの敗北。
それから時代が進むにつれて新たにスター選手が活躍し、
岡田監督が初めての監督を務めたとき、加茂監督代理で、
挑んだころ、前園、川口、そして、後にスパースターになる
中田英寿が活躍、選手たちは以前よりも大きく躍進してくれました。
そして、この頃から、海外でプレーする選手も増えるようになりました。
中田から始まり、中村俊輔、稲本、小野、高原など
他にも、色々な選手が海外へ・・・
いわゆる『海外組』誕生の瞬間です。
そして日本のサッカーのレベルが上がっていく光景は
日本中を盛り上げたことでしょう。
トルシエ監督時代、日韓同時開催だったけれど、
初めてワールドカップ本戦出場。
FIFAランキング16位ぐらい、と、まだまだ上を目指したい順位ではありますが、
ランクインすることができました。
世界的にはまだ力が及ばずとも、日本のサッカーのレベルが
上がった瞬間を、世界に見せられた大会だったと思います。
海外にいく選手の行き先も、イタリア、ドイツ、が
多くなっていき、そして近年、日本人の長友がイタリアの『インテル』で
それもスタメンでという快挙を遂げましたね。
DFでありながら、豊富な運動量でかなり
『オーバーラップ』しなおかつ、ゴールもする!
日本人離れした長友の体力あってこその
幾度も繰りだせる『オーバーラップ』だと思います。
そして他にも海外で活躍するニューフェイスが増えて
日本人がサッカーでサッカー先進国、イタリアなどで
活躍できることを証明しました。
これからのサッカー界、僕にとっては
とても楽しみで、期待できる者になっていくと思います。